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とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」

 

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○「並河靖之七宝」展

「トーマス・ルフ展」

美術アートのなかでも工芸作品は、とりわけ技術・技法が決定的に優劣を分かつ重要なポイントとなる。その意味で並河靖之(1845-1927)の有線七宝は、明治期最大の実績を挙げた輝かしき成功例として記憶されるだろう。
今回はその〔息を呑む〕ばかりの魅力が全開となり、ある種の諦めをも含んだ〔溜息として再び吐き出されて〕くるような思いに駆られる展示となった。これほどまでの高みに登ったアートが、何ゆえに短命で終わらざるを得なかったのか。時代とともに技術・技法は滅びて、いつしか忘れ去られてしまう。後に残るのは真に美術アートだけというお話なのかと。
以下は私が、美術館のなかを彷徨い歩いているあいだ中、反問しつづけた溜息である。

輝く黒地の生成/ガラス質釉薬の化学的生成への敬意。よって、完璧な流線形を強調する
            曲がり部分の光沢・反射光がわけても見事であった。
黒地の余白/完璧な黒地がもたらす無限空間は、いつの時代も脱地上的な広がりを感じさ
            せる。
模様パターンから絵画へ/左右対称ではなく、わが国美術工芸品独得の正面性と裏側の
             ある図柄が印象的。(写真参照『四季花鳥図花瓶』1899)それによりメイン
             モティーフが一層際立つ。写真術など明治期の多くの美術ジャンルで認
             められた「絵画化」が、ここでも通奏低音となっているのは明らか。その
             結果、模様パターンがしばしば陥る退屈さが、ここでは見事なまでに克服
             されている。
有線技法への拘り/図柄を目いっぱい浮き立たせる視角効果は絶大。このようにして、 工芸
             の近代化は成し遂げられていったのかもしれない。
細密性/緻密な手仕事というより、ほとんど顕微鏡的精度のテクノロジーといっていい。
アールヌーボー・アールデコ/やはり海外の美術動向への不断の関心と呼応が、いつまでも
             古びを寄せつけない秘訣か。
仕上げの見事さ/丁寧な仕上げと滑らかな表面。すなわち砥石や鹿の角、木炭、木賊、弁
             柄などを使った段階的研磨・艶出し技術は、日本のお家芸だった。
焼成/無限にくり返される焼成作業への情熱は、一体どこからやってくるのだろう。
装飾/付随する装飾品を生み出す彫金技術の確かさ。これこそ並河七宝の隠し味だと思う。
愛玩性の強調/作品をあえて小振りに留めた国際感覚とグローバル戦略。小さな不思議な
             国からの「贈物」的イメージの創出は、何と見事なことか。そんな視点を
             なぜに元武士たちが獲得できたのだろう。
万国博覧会に標的を定めた国際的販売戦略/販売店を構え、工場生産に踏み切った工芸の
            輸出産業化は、国策ゆえの既定路線であったのだろうか。
古今の図柄の活用/正倉院御物をも想起させるシルクロード的異国趣味。古代的描写によ
             る花、蝶、鳥、神獣などの巧みな引用。江戸趣味を髣髴させる洒脱・粋・
             韜晦の復活。そこには言葉にならない明治期特有の呼吸があったのかも
             しれない。
金属地の隠蔽/口を小さくしたり、蓋をつけることによって中をみせない工夫が感じとれる。
             皿よりも鉢よりも、どこまでも壺を溺愛して止まない形態嗜好は当然の
             帰結というべきか。
シャープな形態/風船に空気を入れ、膨らませて成形したとしか思えない不思議で魅力的
            な流線形。下手に形を意識させない分だけ、なお一層巧みということなの
             だろう。

(東京都庭園美術館、〜平成29年4月9日) 

★★★★★


○「クラーナハ」展

「クラーナハ」展
ルカス・クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」1537年


えっ! と驚くことだが、今回の催しはわが国で初めての「ルカス・クラーナハ展」だという。1472年、ドイツのクローナハに生まれた一人の画家により、以後のアートワールドがどれほど散々に惑わされてきたことか。まさにクラーナハ(父・1472-1553)のヴィッテンベルク工房が仕掛けた戦略通りといえよう。
それにしてもだ。彼の描く女性たち(それはユディト、ユスティティア、サロメ、ルクレティア、ヴィーナスなどしばしば神々しいまでに潔癖で、ひどく怖い存在でもあるのだが)の蠱惑的な魅力は、一体どこからやってくるのだろう。愚問であることを百も承知しながら再び問わずにはいられない、五百年もつづく凡夫の悩みをお察しいただきたい。以下は、私が思い到ったクラーナハ美女の共通点である。

  • 陶器のように白く艶のある肌  そしてそれを最大限生かしている黒バック
  • ボディラインの括(くび)れ  仄かにふくよかでありながら、筋肉質でも肥満でもない
  • 醒めていながら焦点の定まらない眼差し  どこを見て、何を考えているのかまったく分からせない視線
  • ニコリともしない無表情   意志や感情の表出は誘惑の敵
  • 真一文字に結ばれた口元   微塵も媚びないサディズムとしばしばの男っぽさ
  • しっかり束ねられ、額に垂れてこない髪の毛   流行を超えた究極のヘア・デザイン
  • パントマイムのように暗示的なポーズ   もともとの出所は聖書の宗教画
  • 裁判、判決、処刑   理知的でときに残酷な行為、すなわち近代法治国家の芽生え
  • 小品であること   小さいこと、軽いことにこめられた可愛らしさと商品性
  • 黄金に光る小道具   金属製の小道具や装身具の登場は、資本主義と宗教改革への導入口
  • 存在を示唆しているのに、まったく描かれない衣裳   局部への視線の誘導はすなわち、究極の惑わし法

そしていうまでもないことだが、これらすべてはルカス・クラーナハによって計算しつくされた演出であり、磨き抜かれた描写なのだ。エヴァに試されるアダムは、はたして一体どこまで耐え抜くことができるのか。浮世絵と同様、もとより完璧なるエロティシズムに甘ったるい取引きと妥協の入りこむ余地はない。(国立西洋美術館、〜H29年1月15日)

★★★★★


○「ダリ展」

スキャンダラスな図像で20世紀アートを烈しく揺さぶったサルヴァドール・ダリ(1904-1989)。その画面はいつみても、われわれに新たな感興を呼び覚ましてくれる。国立ソフィア王妃芸術センターなど世界三大ダリ・コレクションに加え、「アンダルシアの犬」、「黄金時代」といった多数のモノクロ映像作品が集められた今展では、ひときわ彼の創造力の奥深さが目立った。

「ダリ展」

なかでも眼が釘づけとなったのは、縦横70センチばかりの「姿の見えない眠る人、馬、獅子」(1930、写真)と題された、やや小ぶりな油彩画の一点である。作品のまえに立つと、やにわに黄色い砂漠のなかに佇む一頭の馬がみえてくる。左を向いたその口は、5本の指らしきものを丸めて巧みに模(かたど)られている。
それから豊かな乳房の表出によって、仰向けに寝そべった裸婦がみえてこよう。ここでは在るようで無い、無いようで在る彼女のベッドがやはり重要だろう。そこから注意を逸らすため、わざわざ砂漠のなかほどに長方形の台座が用意されたのかもしれない。
さらに目を凝らすと、馬の尻尾のあたりからライオンの咆哮する頭部が浮かび上がってくるではないか。これはこれはと思いはじめると、もはやダリの術中にすっぽりと嵌っていること間違いなさそうだ。
そして仰向けに寝そべっている裸婦とみえた肢体は、何と両足を大股開きにして、こちらに陰部をみせている裸婦の下半身でもあるのだ。ご丁寧に、そこを不思議そうに覗きこんでいるのは、馬の尻尾で模られた清純な少女の横顔である。裸婦の上の方に何気なく転がっている石のようなものは、横に長く引き伸ばされたとある紳士の頭部にみえなくもないが…。
そもそも馬とライオンは、大自然のなかでは弱肉強食の関係に他ならない。この絵が描かれたころ絵描きは、フランスの詩人ポール・エリュアールから、その美しい妻ガラを無理やり奪いとっている。さてこの絵の<姿の見えない眠る人>が暗示している、いかにもガラらしき人物は、果たしてライオンに喰われてしまう哀れな餌食なのだろうか。それとも若いハンサムな天才画家ダリを手玉にとって、残酷に喰いつくしてやまない野獣の化身なのだろうか。(国立新美術館、〜H28年12月12日)

★★★★★


○「トーマス・ルフ展」

「トーマス・ルフ展」

情報化社会と呼ばれる世の中で暮しているわれわれにとって、映像はきわめて重要な要素だろう。それなしでほとんどのコミュニケーションは、成立しないといってもいい。だが口惜しいことにわれわれは、その映像がいまもっとも疑わしく、スキャンダラスであるという事実に気づいてしまっている。
カメラで撮られる映像が、画素(ピクセル)といわれる受光体素子のデジタル信号に置き換えられた途端、いついかなる加工も意のままになったのだ。否、厳密にいえば撮影者・制作者の意図的な操作が施されていない映像など、もはや世界のどこを探しても皆無だろう。
そのことをドイツの写真家トーマス・ルフは(1958〜)「アザー・ポートレイト」というシリーズで雄弁に物語っている。どこにでもいるかに思えるひとりの青年(写真)は、実際には存在していない。

なぜかといえばこれは、警察博物館の保管庫に眠っていたモンタージュ写真合成機を使って、四枚の写真を光学的に組み合わせてつくられたものだからだ。
つまり実在の人によって生み出されたポートレイトが、その人との関係でそこに在るという単純な状況はいともたやすく崩れ去り、合成で偶然生み出された映像によって、人々はその像との近似性を徹底的に問い詰められていく。極端な話、監視カメラのぼやけた映像が、日々刻々人々を死に追いやっているのだ。
ミサイルが飛び交う湾岸戦争の夜景は、優雅な花火となり、殺人現場の報道写真が一家団欒の図と読み替えられることなどわけはない。そしてわれわれが日ごろ目にする、ミクロとマクロが混在した映像の多くは、肉眼視を大きく逸脱した、いわば幻視の画像ばかりなのである。
(東京国立近代美術館、〜H28年11月13日)

★★★★★



○「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展

産婦人科の診察室を除けば、そもそも生活のなかで「受胎告知」されるのは乙女ではない。強いていえば、彼女と一発やってしまった(あるいはヨセフのようにまだやっていない)男の方だろう。
だから人々が、レオナルド・ダ・ヴィンチやフラ・アンジェリコの絵に描かれているような、厳かで清澄な「受胎告知」を目にすることはまずないといっていい。ましてやヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90年頃−1576)が描くような、道具立ての揃った由緒正しい「受胎告知」(写真、1563-65年頃)となると、絵画のなかでさえ目にするのは容易でない。
「道具立ての揃った」とは、こういうことだ。ある日マリアが椅子に腰かけ、何気なく本を読んでいると、向こうの方からやや小太りの青年(大天使ガブリエル)が白百合を手に、背中の重そうな翼をバタバタとさせながら駆け寄ってくる。あわやぶつかるかと思ったその瞬間、素早く立ち停まって両手を胸の上で交差させ、「あなたは受胎します」と口早に叫ぶ。

「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展

さっぱり要領を得ないマリアは、訝しそうな視線を大天使に投げて返す。それもやむを得まい。こんなにも急で、サプライズに満ちた出来事だったのだから。大天使は苛立ちのままに「何って鈍い人」とつぶやくかわりに、人差し指を天に向かって突き立てたのだった。
見上げると天は真っ二つに裂け、そこから聖霊をあらわす白い光と純白の鳩が飛び出してくるではないか。いまにもマリアの頭部へ激突しそうである。そう、鳩が体現している聖霊こそマリアの身体に入り、その子宮へと到達する「生神女福音」、つまり聖霊受胎の主役だったのだ。
興味深いのはこうした成り行きに対する、マリアその人の態度だろう。もう一度名作の画面に戻ろう。レオナルドのマリアは、宣誓らしきポーズで「当然よね」と微動もしない。フラ・アンジェリコでは、「ご、ごめんなさい」と回廊の奥で縮こまっている。ボッティチェリでは右手をグィと突き出して「あいゃ、待たれい」と拒絶の姿勢。エル・グレコでは「ひぇー」と呆然自失。シモーネ・マルティーニになると、すっかりすねてしまって「勝手にしてよね」とばかりにソッポを向いている。
そしてわがティツィアーノの場合には、「何よ、藪から棒に。せっかくいいとこ読んでいるっていうのに」といわんばかりの、クールな無関心さだ。祝祭都市ヴェネツィアでは、最早「受胎告知」でさえ織りこみ済みの、日常的なイベントに過ぎなかったのだろうか。(国立新美術館、〜H28年10月10日)

★★★★★



○「ポンピドゥー・センター傑作展」
−ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで−

「ポンピドゥー・センター傑作展」

線描と白黒の諧調からなるデッサンは、もののフォルムをもっとも正確かつ立体的に表現してくれる。これは美術アートの世界では、ほとんど議論を俟たない事実といっていい。一方豊かな彩度(純度)や色相をもつ色彩が、いっさい立体をあらわさないかというと然に非ず。
明るい部分は前に突出してみえ、鮮やかなところも出っ張ってみえる。そして赤は青よりずっと前進的であり、色彩はそれ自体かなり空間性にあふれた要素といえるだろう。美学辞典によると印象派が出現してくる少し前まで、この色彩の遠近法的機能はvaleur(色価)と呼ばれて大いに評価されていたという。
つまり絵画は、このデッサンと色彩の特質(色価)をうまく組み合わせて、平面上に立体を描きあらわすというイリュージョンをやってのけていたのだ。だが、それでは色彩から明度、彩度、色相という変化を奪い去り、ただ一色の無限の広がり、つまり仮象色に還元していったら絵画は一体どうなるのだろう。

この破天荒な試みに挑んだのがフォーヴィスト(野獣派)たちだった。なかでもアンリ・マティス(1869-1954)は何気ない室内の壁や天井、床、テーブル、果物などからドンドン固有色をとり上げ、容赦なく鮮やかな赤一色で塗り潰していく。その結果は、室内にある物の形がみえにくくなっただけではない。何と時計からは針が消え、室内風景を支えていた時空そのものが、どこかへと吹き飛んで行ってしまったのだ。
今回ポンピドゥー展に出されているマティスの「大きな赤い室内」(1948年、写真)をみると、絵画は今まさに伝統的な時空の縛りを離れようと、椅子もテーブルも敷物の毛皮たちすらユラユラと空間に漂いはじめている。フォルムの属性とさえみなされていた色彩に、これほどまでに自律的な野獣性があったなどと、一体誰が想像し得たことだろう。(東京都美術館、〜平成28年9月22日)

★★★★★



○「バロン住友の美的生活−邸宅美術館の夢」展

いきなりですが、クイズを一つ。日本で最初にできた、西洋美術・近代美術を含めて展示する施設はどこでしょう。
答え)国のものとしては国立西洋美術館が1959(S34)年4月に発足しています。しかし私設のものとしては、それより30年近くまえの1930(S5)年に大原美術館が誕生しています。でもミュージアムという名称にこだわりさえしなければ、さらに30年近く前の1903(M36)年に、住友家の須磨別邸が完成しています。実質的にいえば、これがわが国で最初の「西洋美術館」でしょうね。

「バロン住友の美的生活−邸宅美術館の夢」展

その特色はイギリスの富裕な邸宅を再現し、そのなかに美術品を飾って、いわば西欧の人々がアートを楽しんでいる日常をそのままわが国に将来してみせたことです。西洋美術をコレクションする美術館は、多かれ少なかれ西欧の雰囲気をただよわせているものですが、ここまで徹底させたのは須磨別邸とアール・デコで有名な東京都庭園美術館(朝香宮邸としての完成は1933年)ぐらいのものではないでしょうか。
玄関を入ると大広間の正面にJ.P.ローランスの「ルターとその弟子」、わきにデリアッツの「森」、大食堂にはモネの「モンソー公園」、「サン=シメオン農場の道」、居間にはアンリ・マルタンの「斜陽」といった具合です。さらに二階に上がると寝室にはラファエル・コランの「裸体美人」と黒田清輝の大作「昔語り」、化粧室には同「朝妝」が恭しく飾られていました。まさに、外光派と呼ばれた当時の最先端美術のオンパレードです。
そのころの〈写真〉をみると、食堂といっても装飾性豊かな椅子やテーブルが並び、窓には無数のカーテンがかけられた豪壮な社交場といった佇まいです。夕食時には皆タキシードなど正装に身を固め、英国人家庭教師リチャードソンを加えてもっぱら西洋料理をいただいていたといいますから、いまの「美術館」以上にさぞ敷居が高かったことでしょうね。(泉屋博古館 分館、〜H28年8月5日)

★★★★★



○「生誕300年記念 若冲」展

「生誕300年記念 若冲」展

江戸中期の京都にあって、「わび」だ「さび」だと打ち沈んだ暗い画面にばかり向かおうとする心情に、キッパリと別れ告げた男がいた。老舗の青物問屋「桝源」の四代目当主伊藤源左衛門、別名若冲である。
生業をはじめ、広大な所有地から上がってくる潤沢な地代や家賃を使って、持てる名声、権力の限りをつくし、絵絹のうえに己が思いを実現させようとトコトン努力している。八代将軍・徳川吉宗の享保の改革に揺れる江戸を尻目に、上方ではちょいと一味ちがうプラグマティズムが盛り上がっていたといっていいだろう。
四十にして家督を次弟に譲ったのも、隠居などという後ろ向きの発想ではない。もう一段高いところから問屋業の規模拡大を目指し、もって京の人々に前人未踏の青物アート≪動植綵絵≫をみせつけようとしたためではなかろうか。彼のモザイク画「鳥獣花木図屏風」を眺めながら、ふとそんな思いにかられた。

「鳥獣花木図屏風」(六曲一双)では、雲を除き「暈し」や「滲み」、「たらしこみ」などの技法はほとんどみられない。すべては小さな正方形の色面パターンに還元されているのだ。従って色彩のグラデーションは、色やデザインを異にする正方形の並置と、ランダムな散らしによって表現されている。例えば動植物の立体感はさまざまな色面の並列であらわされ、背と腹の境界はランダムな散らし、とくにギザギザな曲線によって示されることが多いようだ。
茶色いところなど、実に6種類以上の正方形によって巧みに描き分けられている。決して自由とはいえないこの画法へのあくなき執着は、一体どこに由来するのだろう。木や陶板のタイルを使った、本格的な壁画制作を目論んでいたと勘ぐりたくもなる所以だ。白い象の背にのる布地の柄など、すでに明瞭にタイル化している部分もみられることではあるし…。
こうして若冲が、わが国初のパブリック・アーティストになったとしても、微塵も訝しがる必要はあるまい。何しろ円山応挙を向こうにまわして一歩も退かない、京の都の「街起こし」の立役者だったのだから。(東京都美術館、〜平成28年5月24日)

★★★★★



○MIYAKE ISSEY展

三宅一生の衣服は、ボディをカンヴァスにして描かれたアートなのか。それが最初からの素朴な疑問であった。彼はいう。「基礎となる問いがある――三次元である身体を二次元の布でいかにして包むか。衣服は着ることではじめてかたちをなす」。3Dプリンターさえある現代では、ちょっと物足りない気もしないではないが、まずは真っ当なご指摘だろう。「そのとき布と身体との空間もまた活かされる。一枚の布で造形された服にはこのことが如実に表れている」。
ふーむ、なるほど。衣服とボディはもう少しインタラクティヴな関係なのかもしれない。三宅はいう。「主役は身体である。身体は衣服に動きと生命をあたえる。だがしかし、『ボディ』は芸術作品を意図してはいない」。
こんな経験が思い返される。模様のついた一枚の布がそこに置いてある。ただの布切れ以上の感慨はない。ところがその布を人が纏った瞬間「何と上品な」、「何と優雅な」という感想が頭をよぎった。

MIYAKE ISSEY展

衣服がボディを被って、ボディごと自立したアートを志向するのだろうか。服を纏う人は、衣服をただの布切れ(基底材)にすることも、上品で優雅なあるものにすることも出来るのではあるまいか。
まさにそこに、三宅一生の眼差しが「デザインとなって融合」するのである。(国立新美術館、〜H28年6月13日)

★★★★★


○原田直次郎展 西洋画は益々奨励すべし

原田直次郎展 西洋画は益々奨励すべし

青い裃をつけ短刀や扇子を腰に差し、やや居住まいを正した姿の「横井小楠像」(1890年M24)がある。厳めしい顔つきで相手を威嚇してくる怖い「武将図」ではないが、幕末期の侍というものがどんな風貌で、辺りにどんな雰囲気を漂わせていたかを知るには、はなはだ好都合の肖像といっていいだろう。
作者・原田直次郎は、こうした武士さえ忠実に描きとれる画家。すなわち自身、小石川柳町に生まれ育った紛れもない江戸の侍なのだ。その彼が1884年(M17)にミュンヘンへ渡るやいなや、実に驚くべき変貌をみせる。繊細なペン先から流れ出すヒゲのようなドイツ文字を操りながら、美術アカデミーのガブリエル・フォン・マックスやユリウス・エクステルといったややクラシカルな画家たちのもとで、老若男女の肉体をまるで生きているかのように写しとる油彩の秘技をわがものとしたのだ。

成果は見事だった。強い陰影の対比で靴屋の親爺の頑固一徹を醸しだしたかと思うと、今度は頭頂のコブを囲む髪の毛で、写実の奥深い凄みを示してみせる。市井の人々の心理や感情の表裏にまで通暁する炎の眼差しも、如何なく発揮されていよう。こうして「靴屋の親爺」(1886年M19)にしても「ドイツの少女」(1886年M19)にしても、古典主義の空気を存分に取り入れることで、作者名さえ隠してしまえば到底日本人の作とは察知し得ないほどのヨーロッパ臭を獲得することが出来たのである。
往時の侍らしく、何ごとにも命懸けにならずにはおれない性分のゆえだろうか。それとも完璧に己れを捨ててかかる当時の欧化主義というものの健気さだろうか。いずれにしても平成28年の御代からは容易に想像し難い何かが、そこには渺々と広がっているような気配なのだった。(埼玉県立近代美術館、〜H28年3月27日)

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○恩地孝四郎展

わが国における抽象芸術の先駆者として、名声をほしいままにしている恩地孝四郎だが、その実作品を味わうのはなかなか容易でない。造形はどことなくヌラリクラリして掴まえどころがないし、制作も終始創作木版にのみ集中力していたわけではない。ひょっとすると竹久夢二、北原白秋、室生犀星あたりから、ドイツ表現主義といった西欧の最新動向を叩きこまれながら、同時にモダニズムを骨抜きにしてしまう神業も伝授されていたのかもしれない。
それより気の向くまま、あちらこちらを道草して歩くのが楽しくて仕方なかったのだろう。そしてあらゆるものを驚くべき混淆の中間色トーンで、トコトン柔らかく、ストイックなまでに屈託なく描きあらわしている。その発想がまた悩ましいまでに難解といっていいだろう。

村上隆の五百羅漢図展

ちなみに抒情シリーズに負けず劣らず評価の高い、「人体考察」シリーズを見てみよう。取り上げられたのは髪、顔、頸、肩、胸、背、腹、脚などだ。誰にとっても、いやが上にもイメージが膨らむモティーフだ。だが円や直線、色面などを駆使して構成された彼の画面から、身体の各部位を連想するのはほぼ不可能に近い。(写真左上:頸、右上:顔、左下:衣、右下:胸)
つまりこの時期の恩地にとって造形とは、微塵も描写対象のアナログ的再現などではない。無論アーティスト自身の身体のフィーリングや、語感、詩的インスピレーションなどとは、きっとどこかでつながっているに違いないのだが…。日本初の抽象表現なるものが、すでにしてここまで視覚を突き放したものであったことは、今更ながらの驚きといわねばなるまい。(東京国立近代美術館、〜H28年2月28日)

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○フリオ・ゴンサレス展

フリオ・ゴンサレス展

もしも空間に自在に点を打つことが出来たら、どんなに楽しいことだろう。そして二つの点の間には決まって線が引かれる。定規を使って思い切りシャープに引かれた線は、無論美しいに違いない。だが実際のところ、空間をおずおずと切り裂いて進む真新しい線の素朴な風合いも、捨て去るには忍びないに違いない。
金属で空間と遊び戯れていると、ちょっとした「撥ね」や「たわみ」があちこちに生ずることは珍しくないだろう。そう、紙の上を動きまわる筆の跡たる書の、立体版に近いといっていいかもしれない。これをスペインの金工職人にして後の彫刻家フリオ・ゴンサレス(1876-1942)は、3Dプリンターではなく「空間のドローイング」と呼んだ。本作(写真)などはその典型と目される。
「立つ人」(1935年頃)と題された作品だからといって、無理やり人体になぞらえる必要はあるまい。

大切なことは空間のドローイングが、ただ空間に配された物質の姿形ばかりではないということだ。素材はむしろタブラ・ラーサの空間や撓められた勢いの方で、ブロンズの線分はただその分節・境界を暗示するに留まっているようにもみえる。
夜空に穿たれた無数の星の点。天の一点を指し示すカテドラルの尖塔。フリオ・ゴンサレスならずとも「空間に描く」という自在な芸術衝動は、バルセロナの街の至るところに潜んでいたのだった。(世田谷美術館、〜H28年1月31日) 

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○村上隆の五百羅漢図展

この秋最大の呼び物、「村上隆の五百羅漢図展」が森美術館で賑々しくスタートした。思えば2012年カタール国の首都ドーハで、絵画史上最大級という呼び声も高い全長100メートルにもおよぶ「五百羅漢図」(写真)が発表されたとき、世界の美術関係者は驚きの目を見張り、感嘆の声に湧き返ったものだった。
前年の東日本大震災と福島の原発事故で、もはや日本は再起できないのではないかとさえ危惧されていたからだ。そのときいち早く救援の手を差し伸べてくれたカタール国へ、何かお礼は出来ないだろうか。画家のそうした一途な思いは「鳥獣人物戯画」、「北斎漫画」以来の伝統を誇る線描画法の、ひと癖もふた癖もある羅漢様の大集合へと集約されたのだった。
発表当日は各種の情報が飛び交い、その余波はとうとう東京・三鷹のわが事務所にまでおよび、PCをパンクさせ使用不能にまでしてしまった。そうしたわけで今回の国内展は、まさに全美術ファンこぞっての待望のイベントとなった。
黄金の達磨タワーあり、超巨大絵画あり、はたまた辻惟雄先生の応援スピーチありの桃源郷のような会場は、初日前夜(内覧会)のお披露目でさえ二千人を超える人の波で埋めつくされた。

村上隆の五百羅漢図展

村上隆の五百羅漢図展

それをそのまま日本美術の、否日本文化復活の狼煙と受け取ったのは、決して私だけではなかったのではあるまいか。衰退が叫ばれて久しい日本だが、まだまだわれらの行く手は明るいぞ。(〜H28年3月6日)

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