JT-ART-OFFICE (JAO) アートは心の窓、いま美術を一人ひとりの手に。

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JAOの耳はロバの耳、何が聞こえてくるかは風まかせ



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●相変わらず新聞紙上に、政治的主張を掲げた彫刻作品の撤去問題が報じられている(朝日新聞、アートか政治宣伝かH26/4/4)。張り紙の文言が美術館の運営要綱に触れるということらしいが、「特定の政党・宗教を支持、反対するなどの事業は使用させないことができる」という項目の拡大解釈が横行しているようだ。こうした作品を観客自身が、その質によって取捨選択するのはいいが、美術館自体が積極的に検閲・選別していくとなると明らかに行き過ぎである。
そもそも表現と呼ばれる行為には、政治にしろ性にしろ、人間に関わりのあることはすべて含まれてくる。その各々に立ち入っていちいち目くじらを立てていたら、表現など到底成り立つはずはない。美術館には子供たちを含めた大勢の市民がやってくることは十分承知している。だがそれだからといって、おとなしい常識的な作品だけでいいということにはならない。表現の自由は何よりも慎重に、優先して保障されなければならないだろう。
少なくとも美術館スタッフは、自分たちが「表現の自由」を守る第一線に立っているのだという気概を忘れてはならない。アーティストはもとより、幅広い市民たちに「あそこは毒にも薬にもならない、いわば役所によって承認されたものだけが展示を許される場所だ」と思われてしまったら、それこそ元も子もないではないか。

by勅使河原 純

 

● 可愛らしい絵をつけたパンティーやブラジャーを、“アヴアンギャルド文化” の一端として世に示した鴨居羊子(1925〜1991)。時はめぐりインディペンデントキュレイターの室井絵里は、それらを丹念に集めて展覧会を開こうとする。
そのとき美術評論家の瀬木慎一から「ちょっと待った」がかかった。「鴨居さん(の下着)は画廊や、小さな空間で映える作品なのに、(川崎市岡本太郎)美術館の大きな箱で君は何をどう見せる気だ」。――この話しを漏れ聞いて、私の頭には咄嗟にふたつのことが浮かんだ。
ひとつは私自身が美術館を退職するとき、瀬木邸へあいさつに伺うと、血相を変えて「これからフリーの美術評論家になりたいだと? 気でも狂ったか」といきなり怒鳴りつけられたこと。それが尊敬してやまないわが大先輩、(瞬間湯沸かし器こと)瀬木慎一から私への遺言となった。
もう一つはこの大先輩を含めて、美術界全体が経済的に追いつめられてしまったこと。それがゆえに美術館の展覧会を「お客様からお金をいただくリスキーな興業」と捉え過ぎていやしまいだろうか。本当にいいものなら、大きな箱のなかにパンティー1枚でも、よしんばそれが薄っぺらい一片の布地であったにもせよ、いいじゃないか――というほどの大らかな気概を、もう一度取り戻したいと思う。(『Still alive 鴨居羊子は生きている』展 〜H25年12月31日、ギャルリーパリ)

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撮影:岡本太郎

 

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橋口五葉ポスター、1915年

●夏目漱石や森鴎外が、わが国美術批評のパイオニアであることは論を俟たない。ターナーやウィリアム・ブレイクといった舶来作家の解説はいうにおよばず、展覧会の批評から応募作品の入落審査に至るまで、まるで一手引き受け元の感がある。二人が競うように、明治期美術資料のいたるところに顔を出していることでも、その活躍振りはよく窺われよう。
その際、鴎外がフォン・マックスやユリウス・エクステルなどドイツ美術を中心に置き、漱石がラファエル前派など19世紀イギリス美術を拠り所に、その影響が色濃い青木繁の浪漫主義的作品などを評価していたことは想像に難くない。文学も美術もつまるところ根は一緒だといってしまえばそれまでだが、こうした〈国民的英雄〉には、まるで文学と美術の垣根など存在していないかのようである。
それがちょっと嫌で「夏目漱石の美術世界展」には、なかなか足が向かなかった。そして行ってみると、案の定半分は漢文に埋まり、もう半分は英語に埋まっていた。最後に漱石自身の素朴な、まるでクロアチアの農民絵画を思わせる作品が並んでいたのが、ごくわずかながらご愛嬌であったが。 (東京藝術大学美術館、〜H25年7月7日)

 

●虚と実が上下で対称形になる水面は、視覚のマジシャンたる画家たちがもっとも好むテーマのひとつだ。当然観る方も慣れていて、もはや少しばかりの波紋テクニックでは驚かない。だが佐藤雅晴が川崎市民ミュージアムの映像ホールでみせたアニメ混淆作品「ナイン・ホール」はどうだろう。
実像とそれを裏返しにした虚像を、土手の上下で対比させるところまではいつも通りの定石。しかし土手に立つ男は、反射像の自分と直接ロープで引っ張り合う。二人は腰をくねらせながら、しだいに別の仕草をみせはじめる。いつしかそれは自分と他人、動画と静止画、ビジュアルとコンセプト、そして手業と写真、絵画とアニメーションなど、無数の二律背反へと広がっていくのだ。(H25年2月15日―3月7日)

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●またあの日がやってきた。人も家も記憶も、否応なくすべてのものを押し流していったあの悪夢の日が。しかも目にみえずとも、凶暴な大津波はいまも絶え間なく続いている。崩壊する世界経済、エゴイズムの激突、メルトダウン、すっかり形骸化した中央集権国家、そしてもはや誰も関心を持たなくなったアート…、といった実にさまざまな形をとって。
人々はきっと「また生きて会おう」と誓いながら、散り散りになっていったに違いない。そしてこの国では、アーティストと社会システムの噛み合う兆しは、いまだみえてはいない。絶望的状況に対する答えはただ一つ。こうしたなかでこそ、いい作品はいよいよ光りはじめる。ひとり一人がいい作品と出会い、それらを死守する覚悟をはっきりと固めることだ。(いわき市久之浜で被災した作家・安藤栄作の個展[ギャルリー志門、〜H24/3/17]をみて)

 

●あらゆる国の多種多様なクリエイターたちが働いているといわれる、横浜関内・関外地区。そこで〈芸術不動産宣言〉をして、小さな未来都市=新・港村を築いてきたBankART。その5年間の活動を振り返るミーティング「新・不動産宣言!」が開かれた。二つのパネル・ディスカッションに集まったのは、日夜官設民営クリエイティブ拠点や、民設民営クリエイティブ拠点の運営に奔走する当事者たちだ。
議論は、ともすると空洞化しがちな都市への市民サイドからの反旗として、空き事務所の有効活用から横浜・日の出町−黄金町の街づくり運動/黄金町バザール2011 にまでおよぶ。アートによって不動産価値をアップさせながら、アートそのものを経済システムの導入によって再生させるという〈夢のプロジェクト〉は、まだまだ途半ばだ。(H23年10月30日)

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●国立新美術館で「ワシントン ナショナル・ギャラリー展」がはじまった。キャッチフレーズには「これを見ずに、印象派は語れない」とある。同館の平井章一・主任研究員が、全部で60点しかないナショナル・ギャラリー選りすぐりの〈常設コレクション作品〉のうち、すでにここへ「9点もきている」とやや興奮気味に話すとおり、どれも素晴らしい傑作揃いだ。なかでもセザンヌの「レヴェヌマン紙を読む画家の父」(1866年)は、美術史上に燦然と輝く名品中の名品といっていい。
セザンヌは壁に自らの静物画を掲げ、父には「レヴェヌマン」という急進的な美術批評で知られる新聞を持たせている。(実際に父が読んでいたのは、もっと穏健な「ル・シエークル」紙であった。)つまり画家はここで、高らかに前衛作家宣言をしているといっていい。だが、一介の帽子商から身を起こし、エクス=アン=プロヴァンス一の大富豪・銀行家となった父が、そんな息子の野望を受け入れるはずもなかった。
新聞には毎日丹念に目を通し、一刻の油断もなくセザンヌ・コンツェルンの拡張に思いをめぐらした実務家の父ルイ=オーギュスト。一方芸術の革新に燃える信念の人ポール。アートの世界には常につきまとう永遠の葛藤が、ここでは花柄の椅子に座った人物像として定着されている。まさに「これを見ずに、ポスト印象派は語れない」だろう。(〜H23年9月5日)

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●「絶対現場」(1987年)公開中の師走、田窪恭治は知人に誘われるままひそかにフランスへ渡る。ノルマンディー地方のサン・マルタン・ドミュー村の教会を訪れたのだ。15世紀イギリス貴族の個人礼拝堂に遡る堂宇の内部(写真)は、かなり暗かったという。しかしよくみると屋根の隙間からは柔らかな光がこぼれてくる。石造りの、ささやかではあるが気品に満ちた空間は、たちまちにして作家を魅了した。
こうして田窪恭治はある日、われわれの前から忽然と姿を消す。以来、礼拝堂再生プロジェクトはゆっくりゆっくり、本当にゆっくりと進められていく。今回われわれが東京都現代美術館で目にするのは、その礼拝堂を包みこんでいる林檎の壁画である。風の便りに聞いていたノルマンディーの林檎を味わうため、われわれは実に24年もの歳月を待たねばならなかったのだ。(〜2011/5/8)

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●年末年始は何かと飲む機会が多いもの。当オフィスはお蔭様で、大勢の美術関係者の皆様とおつき合いさせていただいています。ですからこの時期は連日のように忘年会、新年会。でもあんまりアルコールに強くないので、いただくときは大抵ビール一本やりです。それも天然の地下水でつくられた新鮮なものがいいですね。できればあまり加熱しないで、つくられたままの味と香りを楽しみたい。
そう思っていたら富士山のふもとの御殿場に、琥珀色に輝くフルーティーなものがありました。ラベルは絹谷幸二氏のダイナミックな旭日霊峰の図(写真)。いやー、絹谷ワールドのこんな嬉しい楽しみ方もあったのですね。では冷えたグラスに注いで、早速いただきます…。
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●「ファントム? アメリカの戦闘機?」
「いやいや、ファントムとは容易には実体のつかめない対象をあらわす言葉で、《妄想、幽体》などと表記されることもあるんだ」

この幽体/ファントムにするどく注目した作家がいる。彫刻家の小谷元彦氏。彼はもともと3次元の世界を3次元に置き換える「彫刻」という概念に、ひどく胡散臭いものを感じていたらしい。そこで彫刻から量感や物質性といった、時空を超える「彫刻らしさ」をどんどん剥ぎとっていく。かわりにもたらされたのは瞬時に消えていくはかなさ、腐敗していく生体、無理やり矯正されつつあるものたちだ。初期には《ファントム・リム/幽霊痛》といって、すでに切断された手足の痛みや恐怖さえ視覚化しようと試みている。 詳しくはこちらから⇒

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小谷元彦 「エレクトロ(バンビ)」2003年、剥製・鋳造アルミニウム、61×60×29cm、
撮影・木奥恵三、森美術館提供

 

●「人はサイコロを一度に3面しかみられない」といったのは哲学者メルロ=ポンティだ。しかし映像作家・越田乃梨子にかかると、そんな冷たい約束事はすぐさま反故となる。人をいろいろな仕掛けのなかに置いて、縦横無尽に眺めまわさずには措かないからだ。
この「机上の岸にて」では、簡素なテーブルの上を動く男女が、主としてテーブルと接する部分で切りとられる。男女はどこまで歩いていっても画面からは消えない。逆にテーブルの方が流れていく。つまり狭いテーブルは無限の時空間となるのだ。しかもそうした映像が左右ふたつ繋げられる。無限と無限の衝突、接合。地球の自転さながらに、動きを入れ替えられた天地は、互いの切れ目に向かってキリキリと軋んでいく。この思いがけない自由と制約のなかで、はたして男女はどう振舞えばいいのだろう。(NTT [ICC]、−11/14)

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エマージェンシーズ!015
越田乃梨子《机上の岸にて》2010年

 

●京王井の頭線の車内。中吊りポスターに上村松園の「焔」がアップになっている。
女子校生:ねえこの女の人、何やってるの。 茶髪の友人:髪の毛食べてるんじゃない。

「なかなかいいところに目をつけたね。それは…」と、思わず割って入りたい衝動を抑えかねた。何を隠そう、この美しい女人はかの光源氏の愛人・六条の御息所である。正妻の葵上が懐妊したことを知り、嫉妬に狂って生霊となってあらわれたという能「葵上」のワンシーンをあらわしている。絵具と裏箔で青白くなった能面風の顔に、わずかに開けられた金泥の瞳。鬼のようにまなじりを決し、足許の一点を見据えて動かない。だが肢体はわなわなと震え、背中にまわした小指の先まで恨みに燃えて、硬くねじ曲げられているではないか(写真)。 つづきはこちら⇒

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「焔」(部分)1918年、東京国立近代美術館 上村松園展

 

●「大勢の方にお越しいただき、ただひたすらに感謝」とばかり、満面に笑みを湛えて立っておられるのは、ワンピース倶楽部代表の石鍋博子さん。それも そのはずで、会場となった銀座のMEGUMI OGITA GALLERYはその夜、無 数の美術愛好家で埋めつくされたのだった。並べられたのは、同倶楽部の会員たちが何年もかけて蒐めてきた、遊び心あふれる160点。
彼女によると日本の現代アートシーンには閉塞感、問題点が多く、その主な原因は日本のアートマーケットが依然として小さいことにあるそうだ。そこでマ ーケットの拡大を目指して、とにかく「買う」という単純素朴なアクションからことを始められた。その恩恵にあずかったお一人が、隣にぴったりと寄り添 う秋山祐徳太子氏。下のリストに示したとおり秋山氏は3者同点ながら、同展の出品レースで、堂々の第1位に輝いたのである。(8/28)

秋山祐徳太子
4点
久保田沙耶
4点
抜水摩耶
4点
荒木由香里
3点
あるがせいじ
3点
three 
3点
浜崎健
3点
(以下省略)
 
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information bureau●当オフィスのすぐ間近に河合塾美術研究所がある。だがこの四月、西新宿へ引っ越 してしまった。がっかりしていたら、その研究所のGallery Kartからオープニング企画として「田中偉一郎トーク/展覧会」をやるというお知らせが舞いこんだ。単なる「お喋り」 ではなく、アートディレクター流「見せるお笑い」だとか。これはやはり、駆けつけないわinformation bureauけにはいかない。会場にて田中氏(写真)曰く。
アーティストといっても、A型の人はいろんな方向に小さなアンテナがたくさん伸びている感じ。コツコツと仕切りがこなせるので、この人たちが賞をとる可能性は非常に高い。

だけど、とった後は大して伸びていかない(笑)。B型は一本だけ太いアンテナが突っ立っている状態。そのため当たると天才的、外れると全然ダメ。O型の人に芸術的才能は期待しない方がいい。何しろOだから。でもプレゼンだけはうまいよ。ワークショップなんか で壷にはまると怖いタイプ。調子にのり易いんだね。AB型は基本的にA型とB型の合体形。あまりいないね。それにしても、やっぱり血液型の話しは盛り上がるなあ。(ちなみにご本人はB型だそうです)。

 

●アートを論理的に形づくっていくのは容易でない。そうした作業をひとり千葉で、もうかれこれ30年もつづけている作家がいる。先日、当オフィスに画集が一冊送られてきた。シンプルな表紙に「岡野浩二作品集1993〜2004」とある。パラパラめく っていくと、皆既日食のような円形が出てくる。(写真)タレルの窓を思わせる長 方形もある。「そうか、これほど光に拘っていたのか」と、いまさらながらのように驚かされる。岡野はその画集にこう書いている。
「美」に向かって私の日々の画家としての生があるわけだが、ここからは、画家としての現象学的アプローチに徹する。つまり問題設定を「美とは何か」ではな くて、「何故、あるものは私に美しいと感じさせるのか」、「美しいと感じさせ る事象はどのような構造のゆえか」と設問し仮説演繹法と実験(エスキース)や、 描きながらの自問自答で美にアプローチする。
私の現在の答えは、「美の構造は、光り輝きと秩序のある空間である」。だから 毎日アトリエで、光の在りよう、空間の在りよう、に取り組んでいるのだ。
この無類に高潔な作家と稀代の思索家セザンヌが対話するところを、一度聞いてみ たかった。そうすれば画家たちがどうやって印象派の光と格闘し、不動の画面を獲 得したか、私にも少しは分かってくるだろうから。(7/15) 詳しくはこちらから⇒

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「無題」2004年、油彩・カンヴァス

 

●映像作家HIKARU SUZUKIの作品には無理がない。どれも苦心惨憺して「映画」にした跡のないところがいい。だがそうだからといって、リアルな迫力に乏しいということではない。人間の洞察をすすめていくと、どの道ドロドロしたものは避けて通れないだろう。あっけらかんと気ままに暮らしている者にも、思いがけない方向から重いテーマがぶつけられる。
ここに紹介する「電車」(写真、You Tube版)は社会派ではないが、一風変わった作品だ。マグリットの絵をビデオに置き換えたような数分間に、われわれは手もなく翻弄されてしまう。
「電車」はこちらから ⇒ 

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●SCAI THE BATHHOUSEの真っ白な壁に、いま巨大な丸いパラボラ・アンテナがとり付けられて いる。よくみるとパラボラの表面は、無数の不定形の鏡で出来ている。しかもその鏡片は周辺部ほど大きく、中心にいくほど小さく割られている。一つひとつの鏡片は一体どこへ向かって像を反射しているのか。さてこのパラボラに、あなた自身の姿はどう写るのだろう。
information bureau遠くから歩いて近寄ってみよう。はじめは当然真っ白だ。だがある程度近づくと、とつぜん下の方 からあなたの顔が無数に湧き上がってくる。その像はどんどん増殖し、中心部へと昇っていく。と、いきなり小さい顔とは別に、巨大なあなたの上半身がパラボラの真ん中あたりに出現してくる。そしてその周辺では、無数の顔が細胞分裂をくり返す。
撮影禁止なので、下手なスケッチ(写真)でご紹介するほかはない。だが、たとえ接写したところ で、この作品のおもしろさは到底1枚の写真では伝えられないだろう。作者アニッシュ・カプーアは、 この不思議な現象をはじめから察知していたのか。それとも…。 やっぱり写真をみたい人は、こ ちらから⇒

 

●図書館も地域特性を活かした資料をあつめ、その館ならではのユニークな情報を発信していこうと、このほど世田谷区立玉川台図書館に新しいコーナーが誕生した。できたのは近隣にある世田谷美術館の「資料コレクション」。開館から今日にいたる約25年間の展覧会カタログを網羅information bureauするほか、美術館 が刊行する主な出版物を紹介していく。新コーナーは、図書館でも最も人目につきやすい玄関脇に設置された。
だが最大の強みは、展覧会カタログが利用者に直接貸し出されることだろう。こんなサービスを行っ ているところは、まだ全国どこにもないといっていい。図書館の越後信子館長(写真)によると 「家まで持って帰れるのが嬉しい」と話す利用者が多いという。地域の図書館と美術館の連携は、 ようやく本格的になってきたのである。(用賀) 詳しくはこちらから⇒

 

●赤いジュータンに寝そべった片ひげの猫を描く、あの洒脱な長谷川燐二郎とは、一体どんな人だったのだろう。平塚市美術館で展覧会をやっているので、湘南の人かと思いきやさに非ず。1904年(明治37年)北海道に生まれ、函館に育っている。もし元気なら今年106歳だ。そして描くところといえば、荻窪、基督教大学、久我山、国立と、何となく三鷹のわがオフィスに近い。略歴を読むと東京の住所は荻窪・神明町とある。当方は高校まで宮前に住んでいたので二筋となりではないか。

information bureauあー、そんな面白い爺さんがアトリエを構えて、せっせと庭のカマキリを描いていたなんて、ちっとも知らなかった。散歩ですれ違っていたかもしれない。それにしても滞仏直後までの作品の、何とアンリ・ルソーに近いことか。そしてそのことを作家自身はもとより、周辺の人々もなぜ口にしなかったのか。いよいよ謎は深まるばかりである。(H22年4月21日) [2転画]

 

 

 

information bureau●アンジェロ・ロンゴーニ監督の映画「カラヴァッジョ 天才の光と影」を観てきました。どの人も登場人物が本物そっくりなことには、とにかくびっくり。いちいち名前を聞かなくても、ああ、あの絵のあそこに出てくる人だな、というわけです。
アトリエも当時そのままに復元され、トカゲに指を噛まれる若者や、生首を切断する女のシーンなど見所が満載。スクリーンは彼の彩色法にならって終始真っ赤っかなので、まるでカラヴァッジョ作品を眺めているみたいでした(写真)。
そこに撮影監督に起用された光の魔術師ビットリオ・ストラーロが、腕によりをかけて16世紀のキアロスクーロ(明暗法)を再現するものだから、その効果たるや背筋がぞっとするほど。あとは天才画家の制作の謎に、いま少し迫ってくれたらなあという感じでした。
(銀座テアトルシネマ) 予告編はこちらから⇒

 

●ギャラリー山口・オーナーの山口光子さんが、H22年1月15日に亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。
最後にお会いしたのは、亡くなられる4日前の11日。石井厚生展、磯部友孝展(写真)開催中の会場においてでした。中原佑介、堀浩哉、石井厚生の各氏と談笑していたら、山口さんからお酒をすすめられました。下戸なので丁重にお断りし、そのときちょっと、いつもの元気がないなと思ったのですが…。
information bureauすでに当オフィスにもたくさんの追悼メールが寄せられています。
「今月末で(ギャラリーを)閉められるというお話しは聞いておりましたが、まさかお亡くなりになるとは想像もしていませんでした。背景にどんなことがおありだったのか、私は全然存じ上げませんが、お気の毒で痛ましい限りです。(美術は)ある意味で富と権力に結びついてきたものでしょうが、現代アートにおいては、そこから解き放たれた自由さと精神性の高いものが求められていると思っています」(Gallery工房親・馬場隆子様)など。
大事なギャラリーを抱えて天国へ旅立たれた山口さんへ、私も磯部作品のように大声で呼びかけたいです。

 

●アートソムリエこと山本冬彦さんは、サラリーマンをやりながら30年にわたって絵画の収集をつづけてきました。その数1300点。平均して8.4日に1点コレクションしてきたわけです。そのなかから160点を厳選し、いま千駄ヶ谷の佐藤美術館で展示しています。
information bureauオープニングなど形式張ったことはやらず、そのかわりイベントを4回開かれるそうです。
出品作家はいわゆる大家から現役の美大生まで。年齢でいうと70代から20代に跨る幅広さです。また展示に当たっては、所属やプロフィールなどを外したとか。ギャラリーめぐりで、つねに作品と真剣勝負してきた山本さんらしい発想です。(H22年2月21日まで)

 

 

●横浜美術館学芸員の猿渡紀代子さんから、当オフィスへ美しい本が届けられました。「よみがえった芸術 日本の現代版画」(H21年11月2日刊、玲風書房)です。
information bureau終戦直後日本に軍属として駐留し、創作版画に魅せられ、そのまま研究者となったシカゴのオリヴァー・スタットラー。氏が1956年に刊行した名著の日本語版です。
図版をぱらぱらめくると、いまや伝説化しつつある29人の版画家が目に飛びこんできます。名前を知らない作家はほとんどおりません。浮世絵を持て囃したジャポニスムは有名ですが、創作版画にも海外での評価の時代があったのですね。再制作された猿渡さんとCWAJの皆さんの熱意が、ひしひしと伝わってくるようです。

 

●いつまでたっても日本の経済はなかなか上向いてきません。そうしたなか、少なくとも一年にワンピース(1点)はアートを購入しましょうと呼びかける、ユニークな団体があります。東京のギャラリー街を中心に活動をつづける〈ワンピース倶楽部〉。
現存するプロ作家の作品を手にすることによって、みずからの審美眼を高め、将来性ゆたかな資産を蓄え、ひいては国内外のアートマーケットの拡大に貢献しようという、何とも志の高いコレクターたちです。
中心になって旗を振るのは石鍋博子さん。ギャラリーならずとも、いまその動向に熱い視線を送る人は少なくありません。暮れも押しつまったH21年12月21日、東京・代官山のレストラン・ママタルトで、去年の忘年会が開かれましinformation bureauた。
写真は和服姿で会員たちに、何ごとか檄を飛ばす石鍋さんです。
なお1月21日(木)19:00-20:30、青山スパイラルビル9Fの「アンクルハット」で大西利勝氏ほかをゲストに、今年最初の勉強会が開かれるそうです。面白そうですね。

 

 

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●東京・広尾の有栖川公園に隣接した森には、その昔徳川家の広壮なお屋敷がありました。いまでも城を想わせる石垣があちこちに残っています。
戦後そこに出現したフランス大使館のモダンな建物も、すでに半世紀以上のときを経過。このほど大使館の移転(とはいえ同じ敷地内ですが)にともない、旧館全体をつかったアート・プロジェクト「no mam’s land」が企画されました。
フィリップ・フォール大使によれば「仏日のアーティストによる最後のメタモルフォーゼ」だそうです。327ブースのなかには、菅 木志雄の壁を貫く鉄パイプと石の作品(写真)なども含まれています。フランク・ル・プティの「クナールフ」の前で談笑しているのは、菅作品をプロデュースした小山登美夫氏と、南條文生氏です。

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●このほど吉祥寺の武蔵野八幡宮の先に、SHO GALLERY K3が誕生しました。もともとあったギャラリーが、少しだけ名前と姿を変えて再登場といったところです。(吉祥寺・三鷹エリアは、新興ギャラリー街として、これからますます前途有望です)。記念のオープニング展は、いうまでもなく多田正美の「風景の場・夏」とサウンドエンカウンター。開廊当日は深夜まで大変な賑わい(写真)で、いろいろな皆さんが顔を揃えました。

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●ミュージアム・エデュケーションプランナーの大月ヒロ子さんが、東京大学情報学環山内研究室と共催で、ワークショップの公開研究会(シリーズ4)を開きました。会場は東大福武ホール。テーマは、アーティストが美術館・児童館でWSを行うときの微妙な関係と、そこから派生する諸問題。
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「こどもの城」の下村一さんと東京都現代美術館の郷泰典さんが基調報告をし、ゲストで呼ばれた金沢健一さんがアーティスト・サイドの浮かばれない状況を切々と吐露。もう少し実情の共有・発信が必要と痛感させられた5時間でした。(H21/11/7)

 

 

●いよいよ芸術の秋。自分ひとりで静かに訪れるアートスポットもいいですが、ご夫婦で楽しむのにぴったりの催しがあります。東京国立近代美術館工芸館で、H21年9月4日からはじまった「染野夫妻陶芸コレクション展」がそれ。義信・啓子ご夫妻が長年かけてコツコツ蒐めてこられた茶碗や壷を、美術館収蔵の名品とともに並べています。
information bureau圧巻は何といっても第四室の三輪壽雪(第十一代三輪休雪)。茶碗よし、花入れよし、菱形水指これまたよしの、何でもござれ状態。眼の高さに懐具合がついていくという、滅多にない夢を現実のものとされた幸せなご夫婦です。熱心なファンは床に腰をおろし、しばしガラスケースに鼻や頬を押しつけたまま。こちらも溜息まじりに、つい一言漏らしてしまいました。
「いゃー、分かるなあ。その気持ち」

 

●東京にお住まいの造形作家・大浦一志さんから、「杉並区阿佐谷南三丁目二十三−十三⇔普賢岳」と題した、膨大なドキュメントを預かりました。大浦さんが1992年以降、17年にわたって雲仙普賢岳へ通いつづけた記録集です。その冒頭には、こう記されています。

一九九〇(平成二)年十一月十七日、長崎県で雲仙普賢岳が一九八年ぶりに噴火した。翌年の六月三日、突如として大火砕流が発生し四十三人もの多くの尊い命を奪った。その三日後、六月六日(木)日本経済新聞に掲載された「襲いかかる火砕流」の写真は、私に強烈な衝撃を与えた。…中略…
一年後の一九九二年八月三十一日、私は初めて現地に立つ。
そこで、ことばでは表すことの出来ない何かに出会った。
その後、東京の自宅と普賢岳を往還し、現地での定点観測によるフィールドワークを行ってきた。ここに記した言葉の連なりは、その時々のこころの動きをつづった私自身の記録であり記憶である。

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雲仙普賢岳

灰から緑へと、自然がゆっくり回復していくなかで、思いがけない容貌をみせる残骸たち。作家の眼が切り取った現実はあまりに酷く、厳しく、そして美しい。この貴重なドキュメントをご覧になりたい方は、当事務所か作家のところ(武蔵野美術大学大浦教授研究室Tel 042-342-6081)までご連絡ください。

 

●美術史家の辻惟雄氏が、エッセイでこうおっしゃっています。「今では美術史学科といえば、大学生、とりわけ女性の大学生に人気がある。だが、何をしているかわからない美術史を出て、実用とは程遠い美術館に入っても、そこは役所にとって、予算削減の最優先の場所でしかないことを覚悟していただきたい。
振り返ってみれば、そんななかで私は幸運だった。指導してくださったY先生との出会いが第一の幸運である。これがなかったら、今頃私は何をしていたか、悪くすると、青いテントの住人になるか、野垂れ死にしていたかもしれない」(『大航海』No. 70)。まこと真に迫る、ドキリとする言葉だと思います。



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